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他力本願の板画家

他力本願

この言葉を、どのように使っているだろうか。

 

もし、いまあなたが、チェーンのはずれた自転車を漕ぐように、

いくら行っても進めない、暗中模索の局面にあるのだとしたら、

その糸口は、"他力本願"にこそ、あるのかもしれない

 

 

 

 

元々、他力本願とは仏教、とくに浄土真宗のことばである。

 

自らの修行によって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願に頼って成仏することを意味している

                 他力本願 - Wikipedia

 

 

このことは、先日の記事でも触れた内容に近いものがあるが、

おおざっぱに要約すると、

 

 

 

己の力の限界を認め、もっと大きな力に身を委ねる

運命を受け入れ、その中で、自分にせめても出来る事の限りを尽くす

出来ない事までを、力技でやろうとはしない

 

 

 

といったところだろうか。

 

そして、この浄土真宗の教えが根付いていた富山県南砺の土地へ、

1945年

彼は、偶然、戦火を免れるためにやってきた。

 

幼少期より極端に目が悪く、

学校も小学校までしか出ていない。

いつもがむしゃらに突っ走り、疲弊するだけだったそのアーティストは

しかし、この地で他力本願の思想に触れ、

本当の自分の進むべき道を見つける事ができた。

 

 

アーティストの名は、棟方志功(むなかた しこう)。

日本を代表する版画家のひとりである。

 

棟方 志功(むなかた しこう、1903年明治36年)9月5日 - 1975年昭和50年)9月13日)は、日本板画家20世紀美術を代表する世界的巨匠の一人。

青森県出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意[1]1942年昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。

棟方志功 - Wikipedia より引用 

 

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棟方 志功 「菩薩尊々図」 Shiko Munakata - 創業29年 美術品販売 ギャラリー田辺より

 


棟方志功の世界(昭和45年放送)

彼について、詳しい事がなにひとつ分からなくても、この動画を見れば、

彼のパーソナリティについておおまかに窺い知る事はできるだろう。

そして、なにやら、”ただものではない”、ということも。

 

 

 

 

 

 

他力本願の教えの関係性について知る上で、

重要な発言がある。

 

「富山では、大きないただきものを致しました。
   それは『南無阿弥陀仏』でありました」(棟方志功『板極道』)

疎開以降、棟方志功の作風はガラリと変わります。

柳宗悦が「土徳」と呼ぶ、
富山という真宗王国に根づいた他力本願の風土が
棟方の心をひらいていったのだともいわれます。

  「自分は道具になって働いているだけ。
   自分の仕事ではなく、いただいた仕事なのだ」(同)

光徳寺再訪 : ゲ ジ デ ジ 通 信 より引用

 

 

自分のうちから湧き出る何かを、

画家として、

”じょうずに”、描いてゆかねばならない

と気負っていた彼は、

しかし、

専門的な勉強も、

絵の技術も学ぶ機会のなかったその人生において、

また、

極度に微弱な視力の範囲で行う創作活動において、

圧倒的なハンディキャップを抱えていた。

 

 

そんなときに、木の板を彫るという表現方法と、

他力本願の教えに出会う事になる。

 

 

荒く、しかしシャープに削られた木の生み出す表現は、

彼のつたなくも力強い画風にぴったりと寄り添った。

 

そして、浄土真宗の教えについて想うときの、

阿弥陀仏のことばや、木の板そのものが彼に語りかける声に耳を澄まし、

それをそのまま、すばやく写し取るようにして、下書きもせずに

必至で木の板に描きつけた。

 

 

この、自分ではない何かとの、魂のやりとりのことを、彼なりに、

自分は道具になって働いているだけ

と、表現したものと思われる。

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▲彼が戦時中に疎開していた、南砺のお寺・光徳寺。

現在は、彼の作品や彼と交流のあった民芸の作家たちの作品が展示されている。

 

 

 

 

 

実際、これらの話が、どれほど"真実の"ことなのかは

彼だけの知るところではあるが、

 

 

無宗教を自覚する私にも、

この他力本願の意味するところは、なぜか、感覚的に、

分かるような気がするのである。

 

 

とりわけ、

自分でも驚く程に物事がうまく運んでいるときや、

すらすらと手が動くとき、

すらすらと言葉が勝手に口をついてでてくるとき。

 

 

たいてい私は、

”これは、わたしを使ってだれか別の人が言っている事なのだ”

というような、不思議と他人事めいた冷静な気持ちになっていたりする。

 

 

 

それはおそらく、昔どこかで見聞きして感銘を受けた話がベースになっているとか、

さんざん考えて来たことで、もはや空でも言えるようになったような話だとか、

 

とにかく、

ある領域まで完成されて、一度自分の手を離れ、

ある種の普遍性を帯びたようなものごと。

 

 

そういうものに、

ただの媒介者となって自分が働いているとき、

(いわゆるフロー状態、というやつに近いかもしれない)

 

私たちは一個人の枠を一つ抜けたところに存在し得ているのではないだろうか。

 

 

そして、人の心にまっすぐに飛び込んでくるものごとというのは、

たいてい、こういった類いの、一個人を超越した、高度に普遍的なメッセージ性を含んでいるのである。

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▲ゆかりの地その2。彼に取って初めての持ち家であったこの小さな家は、彼の人生の中でも有数の、家族との幸せな時間の流れた場所だ。

ここで、ガイドの方から詳しい彼の人生物語を聞く事ができる。

 

 

f:id:arinkozou:20180508131735j:image ▲まちの至る所に、彼の版画をあしらった記念碑がある。いくつ見つかるか、気にして歩いてみるのも愉しいだろう。

 

 

 

 

軽い好奇心と小さな直感から訪れた南砺というまち。

 

当時の面影を残す、のどかな田園風景の中で

きっといつか帰ってきたい、日本の原風景に出会うことができた。

 

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◎ほんじつの右手ライティング 2018.5.7 *1

 

 

 

彼の作品展示のそばにあった、ポートレイト写真。

「撮影者不明。お心当たりのある方は情報をご提供ください」という、まさかなコメントに和む。

*1:

右手ライティングとは?

 

左利きの落書き名人あーりーによる、右手を使ったライティング&ドローイングのコーナー。

 

使い慣れない右手が醸し出すヘタウマの可能性を地道に追い求めていく。

 

サービス精神は受注生産

サービス精神は、過剰供給になると誰も得をしない。

人は、ある程度満たされると、その先の充実には鈍感になるもの。

 

例えば、年収800万円超えた時が最も幸福感の変化量が多いという話もあるように。

 

 

定食を頼んで、粋なお通し小鉢がついてきたら、私たちは嬉しい。

でも、メニューを悩んでいる時に、全てのメニューの試食を一通り出されても、それは返って判断を迷わせるし、なんだか気が引けてしまうだろう。

 

 

サービスは、さりげなく。

中身の5パーセント程度でいい。

 

注文される前から、サービスしなくていいのだ。

 

 

 

なんだか、いつも自らその場のお笑い芸人を買って出てしまう人、いませんか。

 

人を笑顔にできるあなたは、じゅうぶん素敵です。

ガンバってます。

だから、いちどその溢れるサービス精神を、受注生産に切り替えてみようじゃありませんか。

 

 

いつも笑っているあなたに、足りないものは

案外怒ってみることなのかも。

いじけてみたり。

泣いてみたり。

にんげんだもの

 

 

サービス精神は、受注生産がちょうどいい。

 

 

 

僕が小鈴キリカを好きな理由(ただのラブレター)

毎週水曜日、このブログでは

絵描きOL小鈴キリカのイラストを紹介するコーナーをやっている。

(と、いってもつい最近始まったのだが) 

 ▼初回

aridea.hatenablog.com

▼第二回

aridea.hatenablog.com

 

 

 

しかしもちろん、私がキリカ氏を知ったのは最近のことではないのであり、

 

彼女のイラストが上がった日はブログに普段の倍のアクセスがある、とかいうことを差し引いても、

 

私が彼女をここで紹介したい理由は明確にあるのだ。

 

 

 

そういえば、どうして数ある絵描きOLたちの中から

(そもそも絵描きOLというのがどの程度ポピュラーな生き様なのか定かでないが)

 

小鈴キリカをピックアップしたのかについて、全く説明をしていなかった気がするので、

 

ここで改めて、

僕が小鈴キリカを好きな理由

と題して、

ただのラブレター、もとい、

最強のセールスコピー

恥を忍んでしたためたいと思う。

 

***♡*****♡***************

 

 

僕が小鈴キリカを好きな理由、

 

それは、

僕が椎名林檎を好きな理由と概ね同じだ。

 


椎名林檎 - NIPPON

 

椎名林檎といえば、もはや説明はいらないと思うが、

ソロでの歌手活動、

バンド・東京事変のヴォーカリストとして活動ののち、

近年ではオリンピックの閉会式のディレクションまでを務める、

誰もが認める国民的J-Pop職人である。

(本人が自らのことをこう表現している。決して筆者の勝手な名付けではない。)

椎名林檎が西加奈子に“J-POP職人”の顔を明かす「本当に好きな音楽とは乖離してる」 - Real Sound|リアルサウンド

 

 

もちろん、彼女の作る曲は素晴らしい。

彼女の挑発的な態度も、計算された美しさも、

思わせぶりな言葉選びも、

その全てが僕らの心を捉えて離さない。

 

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【画像】椎名林檎の堪らない画像集≪高画質≫ - NAVER まとめ

 

そして、多かれ少なかれ、キリカ氏にも、そうした計算された美しさのような雰囲気は存在している。

 

 

だがしかし、何より僕の心を引きつけて、尊敬させてやまないのは、

 

 

彼女(椎名林檎、そして小鈴キリカ)が、

本当に美しいとはどういうことかを明確に知っていて

(それは、例えば若かりしオードリー・ヘプバーンの美貌であるとか、黄昏時に数分間だけ現れる、息を飲むような夕暮れの赤だとか、本当に世の中に嫌気がさしてしまった日に偶然かかってきた友人からの何でもない電話が救ってくれた命の煌めきだとか、

そういう誰もが美しいと認めて異論のないような、本物の美しさのこと)

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【特集】オードリー・ヘプバーン 写真38枚 国際ニュース:AFPBB News

 

 

それと同時に、

自分自身は、その本物の美しさには及び得ないのだという、

完全な諦観と敗北の認識から自らの在りようを定義していることにある。

 

 

 

 

椎名林檎のインタビューや対談記事を読むことがあれば、誰もがそのイメージのギャップに少なからず驚かされるだろう。

 

ステージ上で"椎名林檎"を演っている時の彼女は、

完璧で、隙がなく、矛盾がなく、その場の何より私が美しいと言わんばかりの堂々たる振る舞いで、

私たちを一瞬にして"シモベ"にしてしまう。

彼女にはかなわないと、一瞬で分からせる魔力を持ち合わせている。

 

 

ところがそんな彼女に一度"語らせて"みると、そんな姿からは想像できないほど、

自己評価が低く、謙虚であり、

自らにとっての神さま、憧れの人に心ごと奪われて情けないほど幼い、

乙女な一面を見せるのだ。

 

彼女の詩に登場するさまざまな"彼ら"は、

その誰もが彼女の心の主人(彼女の心を奪った人)であり、

その主人の前で無力な彼女は、

そんな無力さをあっけらかんと歌にして魅せることで、

リスナーである我々の心にするりと忍び込み、

今度は我々の心の主人となるのである。

 

つまり、そういう心の奪い合いの入れ子構造こそが、

彼女の作る魔力的世界観のトリックなのである。

 

 

 

で、少々話が脱線したが、

小鈴キリカもまた、自分の能力の限界を明確に認識している人の1人なのである。

 

 

彼女は、良くないものを、良いとは決して言わない。絵に関しても、生き様に対しても、道端の石ころひとつとっても。

 

 

それは、本当に良いものがどういうものかを冷静に理解しているからだ。

かといって、アンチコメントに走るのでもない。

彼女の美しさフォルダーに選ばれなかったものたちは、ただ、彼女の脇を通り過ぎて、話題に上らないだけのことなのだ。

 

口走る愚かさよりは、

無言を貫く賢さを選べる人。

 

 

あるいは、

嫌いなものを嫌う労力を割くよりは、

自分を幸せにするもののことだけ考えられる人。

といった方が正確かも知れない。

 

 

これは、簡単なことのようでいて、実はそうでもないということは、各々、心の深淵に手を当てて自らに問いかけてみて頂ければお分かりだろう。

 

 

そしてまた氏は、

自分の良くないところについても、

よく理解していて、

それを覆い隠したり、大した問題じゃないと誤魔化したり、

ぜったいに良いところだと、ことさらに見栄を張ったりすることもない。

 

 

この、徹底的に冷静なスタンスが、果たしてどのように形成され、維持されているのか、私にはわからない。

 

しかし、ついつい見栄を張ってしまったり、ダメなところを認められなかったりすることの著しい私には、それがいつまでも魅力的で、不可解で、

常々、色んな素晴らしいことに気づかせてくれるのだ。

 

 

 

。。。ちょっと、褒めすぎていやしないか、心配になってきたが。

 

 

 

 

 

とにかく、そういう揺るぎない彼女の、

うつくしいものフォルダーにめでたく入賞したものたちが見たければ、

この上なく簡単で素晴らしい方法がある。

 

そう、

彼女のインスタグラムをチェックすることだ。

www.instagram.com

 

そして、

 

毎週水曜日は、欠かさずこのブログへやってきて、インスピレーション・フロム・ミュージックのコーナーをチェックすることだ。

 

 

そう、今あなたが読んでいる、このブログだよ。

 

なんて上手い話なんだろう!

 

 

世の中の上手い話というものは、大抵何か裏がある。どうか注意深く居て欲しい。

 

 

しかし、今回は別だ。

 

小鈴キリカのイラストを僕がオススメしたい理由は、前述の通り、

本当に嘘偽りのない、いちファンとしての僕の告白であり、

よくあるファンからファン予備軍への"布教"活動に過ぎないのだ。

 

 

と言うわけで、軽い紹介のつもりが、例のごとく冗長になってしまった感があるが、

伝えたいことの150%は伝わった気がするのでこのへんで!

 

チャオ!

 

 

 

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 ◎ほんじつの右手ライティング 2018.5.19

 *1

*1:

右手ライティングとは?

 

左利きの落書き名人あーりーによる、右手を使ったライティング&ドローイングのコーナー。

 

使い慣れない右手が醸し出すヘタウマの可能性を地道に追い求めていく。

【連載企画】絵描きOL小鈴キリカのインスピレーション・フロム・ミュージック

じゃんじゃじゃん!!

おばんです。

今回で二回目となったこの企画。

 

絵描きOL小鈴キリカの、

インスピレーション・フロム・ミュジック〜〜〜〜〜!!!

 

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小鈴キリカ (@ksz_kirika01) • Instagram photos and videos

 

 ▼関連記事

aridea.hatenablog.com

 ▼第一回(初回)
aridea.hatenablog.com

 

 

水曜の夜も25時をまわって参りましたが。

キリカ ・キッズの皆様におかれましては、それはもう、

首をキリンさんのように

なっが〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くして

待っておられた事でしょう。

お待たせしました。

 

 

 

 

******************

 

本コーナーは、毎週水曜日※に

音楽愛好家でもある小鈴キリカ氏が曲をひとつセレクトし、

の歌詞や世界観からインスピレーションを得て一枚絵を描きあげる

という無敵のコンセプト企画。

  ※水曜日というのは、おおむね27時くらいまであります

 

 

 

”歌もの”曲の良さと言えば、なんといってもメロディーラインに加えて歌詞を味わう事ができるという点。

しかも、その解釈は人によってまちまち

子供の頃に聴いた曲が、大人になってまったく違う意味で新鮮に聞えてくるという経験は誰しも一度は経験があるはず。

 

そんな無限の可能性を秘めた”歌もの音楽の解釈”を、

キリカ氏の音楽的センスと美的センスに託して

イラストレーションにしていただこうではないか!

というパワープレイ企画。

 

 

二回目の今日は、懐かしのあの曲たちを元に、

ちょっとミステリアスなムードでお届け!

 

 

準備はできた?

Ready GO!

*******************

 

song 1: Woman "Wの悲劇"

Woman “Wの悲劇”より

Woman “Wの悲劇”より

  • provided courtesy of iTunes

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illustration by KIRIKA KOSUZU

ああ時の河を渡る船に

オールはない 流されてく
横たわった髪に胸に
降りつもるわ 星の破片

 

 

おっお〜〜!

来ましたね。私好みのやつです

暗闇の中を流れる小川に、薄幸の乙女がひとり、ゆらゆら小舟にゆられます。

波のようにも、葉脈のようにも思える有機的な水面の模様は、どこかアールデコの時代の優雅さと儚さを思わせます。

彼女の生きるモノトーンの世界に、しかし、

ぽとぽとと降りしきる紅い花びらのシャワー。

それは、生気を失った彼女の、何より欲しいものである"血液"への渇望か、

はたまた、

それでもなお、いたづらに流れしたたる流血の無情か。

あの柔らかなシーツのようなワンピースが、永遠に清らかな白を保つことができればいいのに。

せめて、最後彼女が暗闇の果てに消え行く、その時までは。。。

(To Be Continued...)

 

 

 

 

 

 

 

song 2: Behind the Mask

BEHIND THE MASK

BEHIND THE MASK

  • provided courtesy of iTunes

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illustration by KIRIKA KOSUZU

Is it me
Is it you
Behind this mask, I ask

 

 

 

 

 

 これまた、シブい選曲で来ました。

 

わたしなのか

あなたなのか

マスクの下で、私はたずねる

 

なんだか、無限に解釈の余地のありそうな詩。

わざわざこの解釈に挑むとは、なんと勇敢なお絵描き戦士なのでしょう、キリカ氏よ。

ただ、

そのなんとか解釈しようとした結果、

さらに謎が深まっている感じ

の仕上がりが個人的には大変ツボです。

もう、ねぇ、だって、どうなっているんでしょう、これ。

女の子のようなマスクの下には、相対的にみて男の子のような(まつげのない)マスク。

その二枚のマスクの下にある実態は、なぞのエネルギーに満ちた赤い光線を放って光り、0と1のデジタル信号で覆われた緑色の頭部には、ただひとつ、耳があるのみ。

おまけに、カツラとチューリップ帽子(推定)まで装備しています。

宇宙のまんなかに浮かんだような黒の背景は、

無限の広がりとも言えそうであり、

かたく閉ざされた暗室のようでもあり。

囚人の描くイラストのもつ、どこまでも不可解な魅力に近いものがそこにあります。

 

 

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

今回は前回とも打って変わって、キリカ氏の底知れぬポテンシャルを垣間見たような気がします。

次回はどんな切り口で魅せてくれるのか?!

 

 

待たれよ次週!

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(筆者補足)

キリカ氏が一刻も早く、景品の特製ドンブリ(150ptで交換可)をGETできる日を、筆者も固唾をのんで待ちわびています。

 ※現在の進捗:7pt(2018/5/16時点、本人申告)

 

Disabledを装備する

私が小学校のころ(今から10年以上前)、たしか毎年ある時期に、障害を持つ人の描いた絵葉書を売りに来る人がいた。

 

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よろこびの里 | 長崎県障害者共同受注センター より引用

 

 

べつに、買っても良いし、買わなくても良い。

ホームルームの時間とか、帰りの会のタイミングで来ていたような気がする。

 

どういう人たちだったかなどは、もはや全く思い出せないのだが、

とにかくその絵葉書売りが来たら、

毎年必ず一セット購入していた。

 

5枚程度のハガキが入って、100円とか、破格だったと思う。

 

 

当時の私は、社会貢献の意味なんてよく分かっていなかったし、

そこで払ったお金がどこに渡るのかも、描いた作者のプロフィールも、なんにも分かっていなかった。

(知る由もなかった)

 

 

 

つまり、単純に、その絵が好きで、買っていた。

 

 

 

イラストのテイストはばらばらだが、

朝日の登る海原の風景画とか、

驚くほど繊細な日本画風の花鳥風月の絵とか、

割にシブい。

 

それがなんだか、かっこよかった。

 

そして、筆致のすみずみに"描く喜びそのもの"があらわれていた。

 

 

 

普段は"助けるべき人たち"と教えられる彼らが、

自分にまるでない能力を持って、それでお金を稼いでいる。

 

それは新鮮な感動として幼い私に衝撃を与え、

世界をひっくり返した時に見えてくる思いがけない神秘みたいなものに、ひとりドキドキしていた。

 

 

 

もう完全に忘れ去っていた、こんなささやかな喜びの原体験を呼び起こしてくれたのは、

Diversity In The Arts

www.diversity-in-the-arts.jp

という団体だ。

 

 

いくら勉強したって成果が比例しない、未来が全く保証されないアートというものをこれからも続けていくには、

そして、昨日より少しでも良いものを生み出すには、

まだ何が、足りていないのだろう。 

 

アートの小窓から覗く未来は、途方もなく大きくて、私には到底処理できないように思えていた。

 

そんな時、偶然この団体の広報誌に目がとまった。

 

彼らの中には、言葉を持たない人もたくさんいます。(中略)彼らにとって、何かを表現することは食事をするのと同じくらいに大切なことでもあるのです。

Diversity In Arts Paper 03 Introductionより引用

 

この文章を読んだ時、しかし、

その問いが的外れであることに気づいた。

 

そうか私は、アートをどうにかしようと過ぎていたのだ。

 

 

幼いころ、

アートは、勉強するものじゃなかった。

 

 

 

少なくとも、小学校の頃の私が、毎年必ず買っていた絵葉書に、

勉強によって得られた審美眼なんて全く介在していなかった。

 

 

幼い頃、世の中の仕組みが何一つ分からなかったころ、

大人たちはみんな強敵だった。

理論や経験の勝負では、社会でまるで勝算のない、

圧倒的な"社会的弱者"であったあの頃、

 

言葉で説明できない想いは、

すべて絵に託した。

 

子供は、小さな大人というように、

大人の思う以上にたくさんのことを知っていて、たまに何気ない一言で大人をドキリとさせる。

彼らが無知に見えるのは、それを裏付ける経験や表現手段を持ち得ないだけだ。

 

 

 

大人になって

もはや"社会的弱者"ではなくなった私は

アートがなくても生きて行ける。

アートがなくても、自分を説明できる。

 

 その意味で、私はある種、

アートを卒業してしまったのかもしれなかった。

 

けれど、障害を持つ人たちの多くは、大人になったって"社会的弱者"のままだ。

 

だから彼らは、アートの魔力を失わない。

大人になったら多くの人が"強さ"と引き換えに無くしてしまう、

あの素晴らしい魔法を失わない。

 

 

それが良いことなのか、悪いことなのかということは私には分からない。

 

けれども、いくつの年を重ねても社会的弱者を卒業しない人がいるということは、

アートなんて意味がない、と思いかけていた私に、強烈なパンチを食らわせてくれた。

 

 

このブログで私は、利き手でない方の手である右手を使って素朴なドローイングを描くということをしているが、

もしかしたらそれは、

無意識のうちに

Disabledを装備しようとしていたからかもしれない。

永遠に学習しない、永遠に上達しない右手の中に、未だ残る社会的弱者であったあの頃の面影を見出していたからかもしれない。

 

 

 

 

たんなる思いつきでしかなかった落書き企画に、思わぬところで続ける意味が見つかって、

それがなんだか嬉しくて、天才なんじゃないかと思いました。

 

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◎ほんじつの右手ライティング 2018.5.15

 *1

 

 

 

 

 

*1:

右手ライティングとは?

 

左利きの落書き名人あーりーによる、右手を使ったライティング&ドローイングのコーナー。

 

使い慣れない右手が醸し出すヘタウマの可能性を地道に追い求めていく。

 

ビジネスってフェアだ【feat.ラーメン】

文章を書くとき、

それがブログであれ、書籍であれ、なんであれ、

書き方としては大きく分けて二つある。

 

 

ビジネスやノウハウ、知見の共有

日記、雑感、物語、文芸(詩や散文など含む)の共有

 

だ。

 

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  @らーめん 前田慶次郎(金沢) 

 

 

 

 

このことを理解してから、世の中の見え方がずいぶんすっきりしたような気がする。

 

 

 

 

 

 

私は昔から、井戸端会議とか、中身のない"間つなぎ"の為だけのおしゃべりが苦手だった。

 

 

 

 ”最近、●●にオープンしたイタリアンレストランが。。。

 ”最近肩の調子がおかしくて、湿布を貼ってみたんだけど、それが。。。

 

 

などなどの、

どこに着地するかがまるで想像できない(あるいは、着地しない)テーマを

最後まで集中して聞く事が苦手な子供だったのだ。

(まあ、子供というのはたいてい黙って話を聞くということが苦手だ)

 

 

 

今では、そういう何気ない情報交換の中に、

どれだけのお宝情報が潜んでいるかについて、よく理解しているし、

そういう何気ない会話から何か引き出してやろう、

という戦略的な聞き方をするようになってから、

雑談が大得意になった。

 

 

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   @おおぜき中華そば(恵比寿)

 

 

案外、そういうさりげない台詞を覚えておくと、

あるとき相手の不可解な行動の理由が「あ、これって!」と、繋がったりして、

より深い他者理解を得られるのだ。

 

 

というか、

一見してビジネスとまるで関係ないような話題こそ、しっかり耳をかっぽじいて注意して聞いていると、

とんでもない企業秘密の片鱗を掴む事ができたりする。

(ただし、その情報それ自体と本質のあいだには大抵、ひとつもふたつも飛躍があり、そこの関連性に気付くためにはそれなりに鍛錬された洞察力を要する。優秀な人は、この能力がずば抜けて高いケースが多い)

 

 

 

つまり、

 

目的のない話が苦手な人が気付くべきなのは、

 

目的のない話など存在しない、という逆説的な現実なのである。

 

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   @煮干し中華そば一剣(板橋)

 

 

実はこの「2つの文章アプローチ」の分類は、

最近出版社のセミナーで聞いた話の受け売りだ。

 

ゼロから本を造っていくときには、文章の筋道として

極論、原則この2つのアプローチしかないのだという。

 

しかしこれは、何も本に限った話ではない。

人生すべてにおいて、

情報の飛び交うところすべてに当てはめる事ができる。

 

するとずいぶん、コミュニケーションの取り方がスムーズになるのだ。

f:id:arinkozou:20180514010005j:plain  @ホープ軒(千駄木

 

 

 

****************

 

思えば私はこれまで、

つねに「文芸的なもの(小説や詩や唄)」であることを無意識に目指してきたような気がする。

 

対話においても、物事の考え方においても、

何かしら芸術的で唯一無二な高みに至ろうと必至だった。

 

 

もちろん、それはそれで愉しく、永久に飽きのこないプロセスなのだが、

最近ビジネスの考え方を学ぶ事が増えて、ふと気付いたのが、

ビジネスの世界って、

なんて親切でフェアなんだろう

ということだった。

 

学びたい事さえ明確に分かっていれば、

本屋に直行すればいい。

検索エンジンにキーワードを打ち込めばいい。

 

 

読まれるブログのつくりかた。

かしこく稼ぐ株の買い方。

失敗しない転職先の見つけ方。

忙しい人のための最短英語学習法。

有名起業家の人生を変える生活習慣。

 

 

 

その道の第一人者が度重なる試行錯誤の末に見いだしたノウハウのすべてを、

まるごと、分かりやすいコンパクトな文章で学ぶ事ができるのだ。

そこに出し惜しみや無根拠な言い逃げは基本的にはない。

それではビジネスにならないからだ。

ビジネスの世界はシビアだが、それだけ、フェアであるとも思う。

 

それに気付いてから、どうして今まで

ニュースをちゃんと見てこなかったんだろうとか、

何気ない世間話に耳を傾けてこなかったんだろうとか、

反省する事が増えた。

 

 

それに気付くのが遅かったとも思うし、

これ以上遅くなくて良かったとも思う。

 

このブログもまた、

日常のそこここで見聞きした知見も出来る限り紹介しつつ、

その知見の狭間に伏線のようにはりめぐらされた「物語」についても綴って行きたいと思う。

 

 

と、真面目な感じになってしまったが、

ラーメンの画像で程よくオイシイ感じになっているはず。

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   @海南鶏飯日本橋

言葉なんて当てにならない?

言葉を使えるようになりたくて、言葉にするということについてあれこれ考えていたら、

妙な結論に至ってしまった。

 

”言葉なんて当てにならない”

である。

 


やたら大きな空と土の下で 中西政美

 

めぐりめぐる 日々の中で   確かなもの 掴みたかった

わかってるのさ 何も出来ないこと 言葉なんて当てにならない

 

やたら大きな空と土の下で 人間なんてただのありんこさ

打ちのめされて帰る夜に 気がつけばいつもここにいた

 

Wow  いま朝日が Wow  昇ってゆくよ 

Wow  命あるもの Wow  同じ時の中

 

 

 

昨日、リクルートコンサルタントなる人に会ってきた。

数年前までは、リクルートサイトといったらリクナビマイナビという感じだったと思うが、今では"エージェンシー"という、担当のアドバイサーがついて、その人になんでも相談するというサポート体制のリクルーティング業者がいくつも存在している。

 

当初の面会予定が1時間だったのを、2時間弱は話したのではないかと思う。

終わった後も、スマホでやりとりもして、さんざん自分について説明し、自分がどんな人間であるかについて、言葉を尽くした。

 

今度また会って一時間程度話しましょう、ということで、

「自分と向き合う事」という宿題が課された。

 

 

その後、なぜか私は言いようの無い虚無感に包まれている自分を発見した。

言葉は、もうさんざん尽くしたと思う。

私から出てくる言葉が、彼に届いていない感じがした。

 

 

 

そのまま雨の中をぴちゃぴちゃ帰路につき

ぐったりと眠りについて、 

 翌朝起きると快晴だった。

 

昨日とはうってかわって、バカみたいに晴れた、気持ちのいい朝。

 

私は、さっと朝食を済ませると、埃のかぶったギターケースを引っ張りだして、

昔の懐かしい曲を口ずさんだ。

 

 

やたら大きな空と土の下で 人間なんてただのありんこさ

 

 

その言葉は、まさしく私の気持ちそのものだった。

私はありんこ。

せこせこ砂糖を運んで、巣に持ち帰るだけだ。

踏みつぶされたら、いちころだ。

 

 

 

この、バカみたいに快晴の空の下で、わたしはほんとに、自分がありんこみたいに思えた。

 

 

懐かしいいくつかの歌を鳴らしていたら、

自分が大切にしていた気持ちをいくつも思い出して

ギターを埃だらけのケースにしまった。

 

よし、わたしの、やるべき事のために今日も使って行こう

たまには歌を歌う事を、忘れずにいよう。

 

 

私は、音楽を好きだと思えるにんげんなのだ。

だから、歌がありさえすれば大丈夫なのだ。

 

言葉がダメなら、歌がある。

 

 

そのことが、こんなにも心強いだなんて。

よく寝て歌って、空が晴れてりゃ、心配することなんてなんにもない。

ほんとに、そんな気がしたのだ。

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◎ほんじつの右手ライティング *1

*1:

右手ライティングとは?

 

左利きの落書き名人あーりーによる、右手を使ったライティング&ドローイングのコーナー。

 

使い慣れない右手が醸し出すヘタウマの可能性を地道に追い求めていく。

 

        2018.5.11