【連載企画】絵描きOL小鈴キリカのインスピレーション・フロム・ミュージック
おばんです。
さてさて、水曜日の夜がやってまいりました。
今週もいくぜっ !
絵描きOL小鈴キリカの、
インスピレーション・フロム・ミュジック〜〜〜〜〜!!!
小鈴キリカ (@ksz_kirika01) • Instagram photos and videos
▼関連記事
▼第一回(初回)
aridea.hatenablog.com
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本コーナーは、毎週水曜日※に
音楽愛好家でもある小鈴キリカ氏が曲をひとつセレクトし、
その歌詞や世界観からインスピレーションを得て一枚絵を描きあげる
という無敵のコンセプト企画。
※水曜日というのは、おおむね27時くらいまであります
”歌もの”曲の良さと言えば、なんといってもメロディーラインに加えて歌詞を味わう事ができるという点。
しかも、その解釈は人によってまちまち。
子供の頃に聴いた曲が、大人になってまったく違う意味で新鮮に聞えてくるという経験は誰しも一度は経験があるはず。
そんな無限の可能性を秘めた”歌もの音楽の解釈”を、
キリカ氏の音楽的センスと美的センスに託して
イラストレーションにしていただこうではないか!
というパワープレイ企画。
と
いーうわけで!
三周目の今回は、
先週のミステリアス・ツアーな世界観とは打って変わって
ムーディなドラマチックの世界へ連れて行ってくれるみたい!
ドッキドキ〜♪
Ready GO !!
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song1 セツナ😿
夕暮れの街切り取って
ピンクの呪文かける魔女たちの季節
んんんん。
サスペンス。。&、ロマンス。。。?!
2コマまんがのような、
あるいは大画面モニターによる同時中継のような
独特のLIVE感が伝わってきます。
いままさに、事件は起こっているのだ。
いや、事件と決まった訳ではないのですが、
意味深に背中を向けた男性の存在が気になりすぎます。
夕暮れの静かな町にとまるクルマは
彼の追っ手のパトカー。。。だったりして。
ピンクの呪文ははたして、彼を救うためにあるのか。
魔女たちは、どうして裸なのか。
地球はどうして丸いのか。
切なさと寂しさと美しさの同居する世界観は
不思議な甘い浮遊感で私たちをどこか遠くへ運んで行ってしまいそう。
くるり - 琥珀色の街、上海蟹の朝 / Quruli - Amber Colored City, The Morning of The Shanghai Crab (Japanese ver.)
song2 BABY BLUE👶
知ることもなく 消えては浮かぶ
君との影 すぎていく影
意味なんかない 意味なんかない
今にも僕は泣きそうだよ
ああ、
いい。。。
なんだか、雨の日にもしっくりくる
落ち着きを感じさせる少しアンニュイなやわらかい鉛筆のタッチに
日曜の朝寝坊な午前にぼーっとするのにも似合ってしまう
ちょうどいい温度感。
それはきっと
やさしく塗られたパステルカラーのブルーと
水槽を眺めているみたいな気泡の醸す、
ちょっと他人事なガラス越しの悲劇のせい。
今日ばかりは、涙もそのまま、
ただ流れ落ちるのを、みつめていたい。。。
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なんだか、しっとりと深夜にふさわしいメランコリーでお送りしました第三回。
だんだん筆者の語彙が、イラストに吸われて行っている感が否めません。
いい絵に、ことばなんて要らないんですよね。
(逃げ)
楽しんでくれたかなっ
そいでは!
また来週!☆☆
他力本願の板画家
他力本願。
この言葉を、どのように使っているだろうか。
もし、いまあなたが、チェーンのはずれた自転車を漕ぐように、
いくら行っても進めない、暗中模索の局面にあるのだとしたら、
その糸口は、"他力本願"にこそ、あるのかもしれない。
元々、他力本願とは仏教、とくに浄土真宗のことばである。
自らの修行によって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願に頼って成仏することを意味している
このことは、先日の記事でも触れた内容に近いものがあるが、
おおざっぱに要約すると、
己の力の限界を認め、もっと大きな力に身を委ねる。
運命を受け入れ、その中で、自分にせめても出来る事の限りを尽くす。
出来ない事までを、力技でやろうとはしない。
といったところだろうか。
そして、この浄土真宗の教えが根付いていた富山県南砺の土地へ、
1945年、
彼は、偶然、戦火を免れるためにやってきた。
幼少期より極端に目が悪く、
学校も小学校までしか出ていない。
いつもがむしゃらに突っ走り、疲弊するだけだったそのアーティストは
しかし、この地で他力本願の思想に触れ、
本当の自分の進むべき道を見つける事ができた。
アーティストの名は、棟方志功(むなかた しこう)。
日本を代表する版画家のひとりである。
棟方 志功(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)は、日本の板画家。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。
青森県出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意[1]。1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。
棟方志功 - Wikipedia より引用
棟方 志功 「菩薩尊々図」 Shiko Munakata - 創業29年 美術品販売 ギャラリー田辺より
彼について、詳しい事がなにひとつ分からなくても、この動画を見れば、
彼のパーソナリティについておおまかに窺い知る事はできるだろう。
そして、なにやら、”ただものではない”、ということも。
彼と他力本願の教えの関係性について知る上で、
重要な発言がある。
「富山では、大きないただきものを致しました。
それは『南無阿弥陀仏』でありました」(棟方志功『板極道』)
疎開以降、棟方志功の作風はガラリと変わります。
柳宗悦が「土徳」と呼ぶ、
富山という真宗王国に根づいた他力本願の風土が
棟方の心をひらいていったのだともいわれます。
「自分は道具になって働いているだけ。
自分の仕事ではなく、いただいた仕事なのだ」(同)
光徳寺再訪 : ゲ ジ デ ジ 通 信 より引用
自分のうちから湧き出る何かを、
画家として、
”じょうずに”、描いてゆかねばならない
と気負っていた彼は、
しかし、
専門的な勉強も、
絵の技術も学ぶ機会のなかったその人生において、
また、
極度に微弱な視力の範囲で行う創作活動において、
圧倒的なハンディキャップを抱えていた。
そんなときに、木の板を彫るという表現方法と、
他力本願の教えに出会う事になる。
荒く、しかしシャープに削られた木の生み出す表現は、
彼のつたなくも力強い画風にぴったりと寄り添った。
そして、浄土真宗の教えについて想うときの、
阿弥陀仏のことばや、木の板そのものが彼に語りかける声に耳を澄まし、
それをそのまま、すばやく写し取るようにして、下書きもせずに
必至で木の板に描きつけた。
この、自分ではない何かとの、魂のやりとりのことを、彼なりに、
自分は道具になって働いているだけ。
と、表現したものと思われる。
▲彼が戦時中に疎開していた、南砺のお寺・光徳寺。
現在は、彼の作品や彼と交流のあった民芸の作家たちの作品が展示されている。
実際、これらの話が、どれほど"真実の"ことなのかは
彼だけの知るところではあるが、
無宗教を自覚する私にも、
この他力本願の意味するところは、なぜか、感覚的に、
分かるような気がするのである。
とりわけ、
自分でも驚く程に物事がうまく運んでいるときや、
すらすらと手が動くとき、
すらすらと言葉が勝手に口をついてでてくるとき。
たいてい私は、
”これは、わたしを使ってだれか別の人が言っている事なのだ”
というような、不思議と他人事めいた冷静な気持ちになっていたりする。
それはおそらく、昔どこかで見聞きして感銘を受けた話がベースになっているとか、
さんざん考えて来たことで、もはや空でも言えるようになったような話だとか、
とにかく、
ある領域まで完成されて、一度自分の手を離れ、
ある種の普遍性を帯びたようなものごと。
そういうものに、
ただの媒介者となって自分が働いているとき、
(いわゆるフロー状態、というやつに近いかもしれない)
私たちは一個人の枠を一つ抜けたところに存在し得ているのではないだろうか。
そして、人の心にまっすぐに飛び込んでくるものごとというのは、
たいてい、こういった類いの、一個人を超越した、高度に普遍的なメッセージ性を含んでいるのである。
▲ゆかりの地その2。彼に取って初めての持ち家であったこの小さな家は、彼の人生の中でも有数の、家族との幸せな時間の流れた場所だ。
ここで、ガイドの方から詳しい彼の人生物語を聞く事ができる。
▲まちの至る所に、彼の版画をあしらった記念碑がある。いくつ見つかるか、気にして歩いてみるのも愉しいだろう。
軽い好奇心と小さな直感から訪れた南砺というまち。
当時の面影を残す、のどかな田園風景の中で
きっといつか帰ってきたい、日本の原風景に出会うことができた。
◎ほんじつの右手ライティング 2018.5.7 *1
彼の作品展示のそばにあった、ポートレイト写真。
「撮影者不明。お心当たりのある方は情報をご提供ください」という、まさかなコメントに和む。
サービス精神は受注生産
サービス精神は、過剰供給になると誰も得をしない。
人は、ある程度満たされると、その先の充実には鈍感になるもの。
例えば、年収800万円超えた時が最も幸福感の変化量が多いという話もあるように。
定食を頼んで、粋なお通し小鉢がついてきたら、私たちは嬉しい。
でも、メニューを悩んでいる時に、全てのメニューの試食を一通り出されても、それは返って判断を迷わせるし、なんだか気が引けてしまうだろう。
サービスは、さりげなく。
中身の5パーセント程度でいい。
注文される前から、サービスしなくていいのだ。
なんだか、いつも自らその場のお笑い芸人を買って出てしまう人、いませんか。
人を笑顔にできるあなたは、じゅうぶん素敵です。
ガンバってます。
だから、いちどその溢れるサービス精神を、受注生産に切り替えてみようじゃありませんか。
いつも笑っているあなたに、足りないものは
案外怒ってみることなのかも。
いじけてみたり。
泣いてみたり。
サービス精神は、受注生産がちょうどいい。
僕が小鈴キリカを好きな理由(ただのラブレター)
毎週水曜日、このブログでは
絵描きOL小鈴キリカのイラストを紹介するコーナーをやっている。
(と、いってもつい最近始まったのだが)
▼初回
▼第二回
しかしもちろん、私がキリカ氏を知ったのは最近のことではないのであり、
彼女のイラストが上がった日はブログに普段の倍のアクセスがある、とかいうことを差し引いても、
私が彼女をここで紹介したい理由は明確にあるのだ。
そういえば、どうして数ある絵描きOLたちの中から
(そもそも絵描きOLというのがどの程度ポピュラーな生き様なのか定かでないが)
小鈴キリカをピックアップしたのかについて、全く説明をしていなかった気がするので、
ここで改めて、
僕が小鈴キリカを好きな理由
と題して、
ただのラブレター、もとい、
最強のセールスコピーを
恥を忍んでしたためたいと思う。
***♡*****♡***************
僕が小鈴キリカを好きな理由、
それは、
僕が椎名林檎を好きな理由と概ね同じだ。
椎名林檎といえば、もはや説明はいらないと思うが、
ソロでの歌手活動、
近年ではオリンピックの閉会式のディレクションまでを務める、
誰もが認める国民的J-Pop職人である。
(本人が自らのことをこう表現している。決して筆者の勝手な名付けではない。)
椎名林檎が西加奈子に“J-POP職人”の顔を明かす「本当に好きな音楽とは乖離してる」 - Real Sound|リアルサウンド
もちろん、彼女の作る曲は素晴らしい。
彼女の挑発的な態度も、計算された美しさも、
思わせぶりな言葉選びも、
その全てが僕らの心を捉えて離さない。
【画像】椎名林檎の堪らない画像集≪高画質≫ - NAVER まとめ
そして、多かれ少なかれ、キリカ氏にも、そうした計算された美しさのような雰囲気は存在している。
だがしかし、何より僕の心を引きつけて、尊敬させてやまないのは、
彼女(椎名林檎、そして小鈴キリカ)が、
本当に美しいとはどういうことかを明確に知っていて
(それは、例えば若かりしオードリー・ヘプバーンの美貌であるとか、黄昏時に数分間だけ現れる、息を飲むような夕暮れの赤だとか、本当に世の中に嫌気がさしてしまった日に偶然かかってきた友人からの何でもない電話が救ってくれた命の煌めきだとか、
そういう誰もが美しいと認めて異論のないような、本物の美しさのこと)
【特集】オードリー・ヘプバーン 写真38枚 国際ニュース:AFPBB News
それと同時に、
自分自身は、その本物の美しさには及び得ないのだという、
完全な諦観と敗北の認識から自らの在りようを定義していることにある。
椎名林檎のインタビューや対談記事を読むことがあれば、誰もがそのイメージのギャップに少なからず驚かされるだろう。
ステージ上で"椎名林檎"を演っている時の彼女は、
完璧で、隙がなく、矛盾がなく、その場の何より私が美しいと言わんばかりの堂々たる振る舞いで、
私たちを一瞬にして"シモベ"にしてしまう。
彼女にはかなわないと、一瞬で分からせる魔力を持ち合わせている。
ところがそんな彼女に一度"語らせて"みると、そんな姿からは想像できないほど、
自己評価が低く、謙虚であり、
自らにとっての神さま、憧れの人に心ごと奪われて情けないほど幼い、
乙女な一面を見せるのだ。
彼女の詩に登場するさまざまな"彼ら"は、
その誰もが彼女の心の主人(彼女の心を奪った人)であり、
その主人の前で無力な彼女は、
そんな無力さをあっけらかんと歌にして魅せることで、
リスナーである我々の心にするりと忍び込み、
今度は我々の心の主人となるのである。
つまり、そういう心の奪い合いの入れ子構造こそが、
彼女の作る魔力的世界観のトリックなのである。
で、少々話が脱線したが、
小鈴キリカもまた、自分の能力の限界を明確に認識している人の1人なのである。
彼女は、良くないものを、良いとは決して言わない。絵に関しても、生き様に対しても、道端の石ころひとつとっても。
それは、本当に良いものがどういうものかを冷静に理解しているからだ。
かといって、アンチコメントに走るのでもない。
彼女の美しさフォルダーに選ばれなかったものたちは、ただ、彼女の脇を通り過ぎて、話題に上らないだけのことなのだ。
口走る愚かさよりは、
無言を貫く賢さを選べる人。
あるいは、
嫌いなものを嫌う労力を割くよりは、
自分を幸せにするもののことだけ考えられる人。
といった方が正確かも知れない。
これは、簡単なことのようでいて、実はそうでもないということは、各々、心の深淵に手を当てて自らに問いかけてみて頂ければお分かりだろう。
そしてまた氏は、
自分の良くないところについても、
よく理解していて、
それを覆い隠したり、大した問題じゃないと誤魔化したり、
ぜったいに良いところだと、ことさらに見栄を張ったりすることもない。
この、徹底的に冷静なスタンスが、果たしてどのように形成され、維持されているのか、私にはわからない。
しかし、ついつい見栄を張ってしまったり、ダメなところを認められなかったりすることの著しい私には、それがいつまでも魅力的で、不可解で、
常々、色んな素晴らしいことに気づかせてくれるのだ。
。。。ちょっと、褒めすぎていやしないか、心配になってきたが。
とにかく、そういう揺るぎない彼女の、
うつくしいものフォルダーにめでたく入賞したものたちが見たければ、
この上なく簡単で素晴らしい方法がある。
そう、
彼女のインスタグラムをチェックすることだ。
https://www.instagram.com/ksz_kirika01/?r=nametag
そして、
毎週水曜日は、欠かさずこのブログへやってきて、インスピレーション・フロム・ミュージックのコーナーをチェックすることだ。
そう、今あなたが読んでいる、このブログだよ。
なんて上手い話なんだろう!
世の中の上手い話というものは、大抵何か裏がある。どうか注意深く居て欲しい。
しかし、今回は別だ。
小鈴キリカのイラストを僕がオススメしたい理由は、前述の通り、
本当に嘘偽りのない、いちファンとしての僕の告白であり、
よくあるファンからファン予備軍への"布教"活動に過ぎないのだ。
と言うわけで、軽い紹介のつもりが、例のごとく冗長になってしまった感があるが、
伝えたいことの150%は伝わった気がするのでこのへんで!
チャオ!
◎ほんじつの右手ライティング 2018.5.19
【連載企画】絵描きOL小鈴キリカのインスピレーション・フロム・ミュージック
じゃんじゃじゃん!!
おばんです。
今回で二回目となったこの企画。
絵描きOL小鈴キリカの、
インスピレーション・フロム・ミュジック〜〜〜〜〜!!!
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▼関連記事
▼第一回(初回)
aridea.hatenablog.com
水曜の夜も25時をまわって参りましたが。
キリカ ・キッズの皆様におかれましては、それはもう、
首をキリンさんのように
なっが〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くして
待っておられた事でしょう。
お待たせしました。
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本コーナーは、毎週水曜日※に
音楽愛好家でもある小鈴キリカ氏が曲をひとつセレクトし、
その歌詞や世界観からインスピレーションを得て一枚絵を描きあげる
という無敵のコンセプト企画。
※水曜日というのは、おおむね27時くらいまであります
”歌もの”曲の良さと言えば、なんといってもメロディーラインに加えて歌詞を味わう事ができるという点。
しかも、その解釈は人によってまちまち。
子供の頃に聴いた曲が、大人になってまったく違う意味で新鮮に聞えてくるという経験は誰しも一度は経験があるはず。
そんな無限の可能性を秘めた”歌もの音楽の解釈”を、
キリカ氏の音楽的センスと美的センスに託して
イラストレーションにしていただこうではないか!
というパワープレイ企画。
二回目の今日は、懐かしのあの曲たちを元に、
ちょっとミステリアスなムードでお届け!
準備はできた?
Ready GO!
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song 1: Woman "Wの悲劇"
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
横たわった髪に胸に
降りつもるわ 星の破片
おっお〜〜!
来ましたね。私好みのやつです
暗闇の中を流れる小川に、薄幸の乙女がひとり、ゆらゆら小舟にゆられます。
波のようにも、葉脈のようにも思える有機的な水面の模様は、どこかアールデコの時代の優雅さと儚さを思わせます。
彼女の生きるモノトーンの世界に、しかし、
ぽとぽとと降りしきる紅い花びらのシャワー。
それは、生気を失った彼女の、何より欲しいものである"血液"への渇望か、
はたまた、
それでもなお、いたづらに流れしたたる流血の無情か。
あの柔らかなシーツのようなワンピースが、永遠に清らかな白を保つことができればいいのに。
せめて、最後彼女が暗闇の果てに消え行く、その時までは。。。
(To Be Continued...)
song 2: Behind the Mask
Is it me
Is it you
Behind this mask, I ask
これまた、シブい選曲で来ました。
わたしなのか
あなたなのか
マスクの下で、私はたずねる
なんだか、無限に解釈の余地のありそうな詩。
わざわざこの解釈に挑むとは、なんと勇敢なお絵描き戦士なのでしょう、キリカ氏よ。
ただ、
そのなんとか解釈しようとした結果、
さらに謎が深まっている感じ
の仕上がりが個人的には大変ツボです。
もう、ねぇ、だって、どうなっているんでしょう、これ。
女の子のようなマスクの下には、相対的にみて男の子のような(まつげのない)マスク。
その二枚のマスクの下にある実態は、なぞのエネルギーに満ちた赤い光線を放って光り、0と1のデジタル信号で覆われた緑色の頭部には、ただひとつ、耳があるのみ。
おまけに、カツラとチューリップ帽子(推定)まで装備しています。
宇宙のまんなかに浮かんだような黒の背景は、
無限の広がりとも言えそうであり、
かたく閉ざされた暗室のようでもあり。
囚人の描くイラストのもつ、どこまでも不可解な魅力に近いものがそこにあります。
いかがでしたでしょうか。
今回は前回とも打って変わって、キリカ氏の底知れぬポテンシャルを垣間見たような気がします。
次回はどんな切り口で魅せてくれるのか?!
待たれよ次週!
(筆者補足)
キリカ氏が一刻も早く、景品の特製ドンブリ(150ptで交換可)をGETできる日を、筆者も固唾をのんで待ちわびています。
※現在の進捗:7pt(2018/5/16時点、本人申告)