剃髪と女
若木くるみという現代アーティストがいる。
彼女のトレードマークは、自分の後頭部を剃り上げて、そこに顔を描く作品だ。
後頭部ビジネス: 櫛野さんとコートーブ より引用
私が彼女を始めて目撃したのは、先日パークホテル東京で開催されていた現代アートフェアである。
パークホテル東京という場所にはこの時初めて訪れたのだが、
ド都心、汐留にそびえ立つ高層ビル群のひとつで、
目の前には木原さんとそらジローの天気予報でお馴染みの、
あの日テレタワーが構えている。
そんな日本屈指のビジネスタウンにある高層ホテルが、パークホテル東京なのだが
その26階と27階の客室を各アートギャラリーの展示ブースに割り振り、
ホテルの一室に遊びに行くような形で作品を鑑賞(売買も)できるというユニークなアートフェアだった。
来客は、美術関係者やコレクターなどが多い印象で、
VIPの札を下げた人や商談する人がちらほらいた。
自分ではまず泊まることのない、窓から汐留を一望できる高層ホテルで、
うっかり作品にぶつかってしまわないように
(普通のホテルの一室のそこここに作品が並べられているのだ)、
慎重に各部屋をみて回っていると、
ある部屋の洗面台のところで、ちょっと様子が違うことに気がついた。
何やら女性が必死に片言の英語で説明する声が聞こえる。
見ると、そこには後頭部を剃り上げた女性と、来客らしい海外の女性。
後頭部を刈り上げた女性の方が、
これ、this、ここに、絵を描いて、my head!!、それを、here! painting!、紙を乗せて、写しとる、…"写しとる"ってなんだ?、printing?put on。。。
と、懸命に説明をしている。
状況から推測するに、おそらく彼女の剃り上げた後頭部に、お客さんの似顔絵を描き、それを紙で転写して持って帰ってもらえるという新種の似顔絵サービスらしい。
そばに値段も書いてあった気がする。
来客の女性の方は、なんだかよくわからないという風だったが、
それを脇から見ていた私は、
おや、なんだかすげえ女性が居るもんだ、としばし見入ってしまった。
実は私も、大学四年の春に髪を剃り上げ丸坊主になった経歴がある。
その経緯は重要ではないし、大した話でもないのでここでは長くを語らないが、
簡単に言えば、つまらない自分自身を変えたかったからであり、
自分らしさとは何なのか、
綺麗さっぱり削ぎ落としてゼロから考え直してみたかったからだ。
確かにあの時、なにか女として一皮剥けたような、
開くはずのない鍵箱をこじ開けてしまったような、
不思議な昂揚感に包まれたことを覚えている。
剃髪と女。
女にとって、剃髪をするということは。
作品の意図を懸命に説明する若木くるみを見つめながら、その事について考えていた。
一般的に言って、「髪」という保護膜やごまかし、あるいは"女という記号"を放棄するということは、
その手放した実際の毛量以上に大きい意味がある、と思う。
しかし、その抵抗や決意はなんだか、考えてみれば滑稽で愉快な笑い話なのかもしれないとも思ったりする。
人生は、近くで見れば概ね悲劇だが、遠くから俯瞰してみれば、概ね喜劇である、
というようなことを、チャップリンが言っているが、
私はこの言葉はほんとに的を得ていると思う。
髪にまつわる女たちの小さな葛藤や、くるしみや号泣や覚悟や決意やプライド。
長い髪を大切にトリートメントする風呂上がりの時間も
うねるくせ毛をアツアツのコテで引き延ばす朝の奮闘も
突風に巻き上がる前髪を恨めしそうに整え直す風の日も
ぜーんぶ
自ら買って出た面倒なのだ。
われわれは、本来もっと自由なのではあるが
頭を剃って、そこにお絵描きしたって一向に構わないのではあるが
それでも、あくまで自ら好んで、今日も長い髪を揺らす。
汝髪を剃るべからずとは、法律には書いていない。
そう思うと、なんだかそれすら愉快である。
見事に剃り上げた彼女の後頭部と、そこに描かれた福笑いのような拙いペイント、そしてそれを不思議そうに見守る女性。
それをみていたら、なんだか
すべてがバカバカしくって、
愛しくって、
愉快で仕方ないやと思ったのである。
◎ほんじつの右手ライティング 5.2.2018