他力本願の板画家
他力本願。
この言葉を、どのように使っているだろうか。
もし、いまあなたが、チェーンのはずれた自転車を漕ぐように、
いくら行っても進めない、暗中模索の局面にあるのだとしたら、
その糸口は、"他力本願"にこそ、あるのかもしれない。
元々、他力本願とは仏教、とくに浄土真宗のことばである。
自らの修行によって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願に頼って成仏することを意味している
このことは、先日の記事でも触れた内容に近いものがあるが、
おおざっぱに要約すると、
己の力の限界を認め、もっと大きな力に身を委ねる。
運命を受け入れ、その中で、自分にせめても出来る事の限りを尽くす。
出来ない事までを、力技でやろうとはしない。
といったところだろうか。
そして、この浄土真宗の教えが根付いていた富山県南砺の土地へ、
1945年、
彼は、偶然、戦火を免れるためにやってきた。
幼少期より極端に目が悪く、
学校も小学校までしか出ていない。
いつもがむしゃらに突っ走り、疲弊するだけだったそのアーティストは
しかし、この地で他力本願の思想に触れ、
本当の自分の進むべき道を見つける事ができた。
アーティストの名は、棟方志功(むなかた しこう)。
日本を代表する版画家のひとりである。
棟方 志功(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)は、日本の板画家。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。
青森県出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意[1]。1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。
棟方志功 - Wikipedia より引用
棟方 志功 「菩薩尊々図」 Shiko Munakata - 創業29年 美術品販売 ギャラリー田辺より
彼について、詳しい事がなにひとつ分からなくても、この動画を見れば、
彼のパーソナリティについておおまかに窺い知る事はできるだろう。
そして、なにやら、”ただものではない”、ということも。
彼と他力本願の教えの関係性について知る上で、
重要な発言がある。
「富山では、大きないただきものを致しました。
それは『南無阿弥陀仏』でありました」(棟方志功『板極道』)
疎開以降、棟方志功の作風はガラリと変わります。
柳宗悦が「土徳」と呼ぶ、
富山という真宗王国に根づいた他力本願の風土が
棟方の心をひらいていったのだともいわれます。
「自分は道具になって働いているだけ。
自分の仕事ではなく、いただいた仕事なのだ」(同)
光徳寺再訪 : ゲ ジ デ ジ 通 信 より引用
自分のうちから湧き出る何かを、
画家として、
”じょうずに”、描いてゆかねばならない
と気負っていた彼は、
しかし、
専門的な勉強も、
絵の技術も学ぶ機会のなかったその人生において、
また、
極度に微弱な視力の範囲で行う創作活動において、
圧倒的なハンディキャップを抱えていた。
そんなときに、木の板を彫るという表現方法と、
他力本願の教えに出会う事になる。
荒く、しかしシャープに削られた木の生み出す表現は、
彼のつたなくも力強い画風にぴったりと寄り添った。
そして、浄土真宗の教えについて想うときの、
阿弥陀仏のことばや、木の板そのものが彼に語りかける声に耳を澄まし、
それをそのまま、すばやく写し取るようにして、下書きもせずに
必至で木の板に描きつけた。
この、自分ではない何かとの、魂のやりとりのことを、彼なりに、
自分は道具になって働いているだけ。
と、表現したものと思われる。
▲彼が戦時中に疎開していた、南砺のお寺・光徳寺。
現在は、彼の作品や彼と交流のあった民芸の作家たちの作品が展示されている。
実際、これらの話が、どれほど"真実の"ことなのかは
彼だけの知るところではあるが、
無宗教を自覚する私にも、
この他力本願の意味するところは、なぜか、感覚的に、
分かるような気がするのである。
とりわけ、
自分でも驚く程に物事がうまく運んでいるときや、
すらすらと手が動くとき、
すらすらと言葉が勝手に口をついてでてくるとき。
たいてい私は、
”これは、わたしを使ってだれか別の人が言っている事なのだ”
というような、不思議と他人事めいた冷静な気持ちになっていたりする。
それはおそらく、昔どこかで見聞きして感銘を受けた話がベースになっているとか、
さんざん考えて来たことで、もはや空でも言えるようになったような話だとか、
とにかく、
ある領域まで完成されて、一度自分の手を離れ、
ある種の普遍性を帯びたようなものごと。
そういうものに、
ただの媒介者となって自分が働いているとき、
(いわゆるフロー状態、というやつに近いかもしれない)
私たちは一個人の枠を一つ抜けたところに存在し得ているのではないだろうか。
そして、人の心にまっすぐに飛び込んでくるものごとというのは、
たいてい、こういった類いの、一個人を超越した、高度に普遍的なメッセージ性を含んでいるのである。
▲ゆかりの地その2。彼に取って初めての持ち家であったこの小さな家は、彼の人生の中でも有数の、家族との幸せな時間の流れた場所だ。
ここで、ガイドの方から詳しい彼の人生物語を聞く事ができる。
▲まちの至る所に、彼の版画をあしらった記念碑がある。いくつ見つかるか、気にして歩いてみるのも愉しいだろう。
軽い好奇心と小さな直感から訪れた南砺というまち。
当時の面影を残す、のどかな田園風景の中で
きっといつか帰ってきたい、日本の原風景に出会うことができた。
◎ほんじつの右手ライティング 2018.5.7 *1
彼の作品展示のそばにあった、ポートレイト写真。
「撮影者不明。お心当たりのある方は情報をご提供ください」という、まさかなコメントに和む。