あ〜り〜の多幸ぼうる

ドラマチックあげるよ

書評:『アート:”芸術”が終わった後の”アート”』松井みどり

ひさびさにじっくり本を読み、それについての文章をしたためたので

脳みそにうっすら汗をかいた記念として

ここにもそっと置いておこうと思う。

本書はアマゾンでも入手可能だ。

たのしんでいただければ幸いである。

 

アート:“芸術”が終わった後の“アート” (カルチャー・スタディーズ)

アート:“芸術”が終わった後の“アート” (カルチャー・スタディーズ)

 

 

 

 

 

 

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世界は変わるべきか

( 『アート:”芸術”が終わった後の”アート”』書評にかえて)

2018.12.30  あ〜り〜

 

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著書:『アート:”芸術”が終わった後の”アート”』

著者:松井みどり

朝日出版社

2002年2月28日初版第一刷

 

**** 本文 *********

 

 本書では、哲学や社会学、美学などのあらゆる分野を横断的に視野に入れて広く文化を考察していく「カルチュラル・スタディーズ」の方法にのっとり、1990年後半までの近現代の芸術の流行を客観的な筆致で追っていく。本書のなかで、現代まさに起こりつつある美術の潮流を理解するキーワードとしてしきりに登場するのが「ポストモダン」という語である。全五章からなる本文のうち、はじめの第一章は『モダンからポストモダンへ 「芸術が終わった後の芸術」のはじまり』と題され、「モダン」という概念について簡単に解説したのちに、それに呼応する「ポストモダン」という時代がいかなるものであったかを、該当する具体的な作家や「ポストモダン」理論を作り上げた批評家たち自身の名を挙げながら丁寧にひも解いていく。特に、題にもなっている『「芸術が終わった後の芸術」のはじまり』という禅問答のようなコンセプトは、松井氏の主張する現代美術の理想像を理解する上で非常に重要である。つまり、現在我々が一般的にイメージする「芸術」のあり方は「モダン」の時代に確立されたものであり、それら「モダン」の目指す世界観が世界状況の変化から限界を迎えた際に、より現代的な社会に適応する新しい概念として「ポストモダン」とその時代の芸術(芸術が終わった後の芸術)が誕生した、という構図である。そして続く第二章では『表象批判からファンタジーへ 変豹するポストモダン芸術』と題し、第一章で言及した「新しい概念」たる「ポストモダン」さえも、激しく揺れ動く現代社会の波におされすでに古くなり、「変豹」しているのだ、という現実を、サイボーグやロボット、トランスジェンダーといった極めて新しいテーマ(松井氏はこれらの最新テクノロジーの非現実性、シュミレーショニズムを代表して”ファンタジー”と形容する)に触れながら手短に要約している。そして第三章からは、より氏の主張の核心に迫る1990年後半以降のいま独特のムーブメントの実態についてひとつひとつ丁寧に考察している。この章は『リアルなものの探求 「おぞましい」身体、文化多元主義、はかなさの力』と題される。「おぞましい」身体とは、理論や理屈を凌駕する圧倒的な強い印象をもたらす表象についての語であり、1990年以降のまさにいまの時代を包むリアリティとは、モダンやポストモダンの時代に力を持っていた批判理論の限界を敏感に感じとることや、それらの理屈を突破する強い見た目の印象(表象)に逆説的に惹かれる現代的なセンスのことである。また、文化多元主義とは、これまたモダンやポストモダンの時代に進歩的な学問として登場した文化人類学や脱植民地主義といった「新しい概念」さえもが、その後更に過剰に多様化の進んだ現代においては早くも限界を見せ始め、陳腐化していることに感づく現代的なセンスを指す。そして3つめの「はかなさの力」という表現で松井が言い表そうとしているのが、こうしてモダンやポストモダンといった「極めて新しい概念」すらも、驚く程のスポードで陳腐化していることへの強いシンパシーが、現代を生きる若い人々の中では物事の「はかなさ」といった刹那的なセンスとして立ち上がり、それこそが今の社会を的確に捉え自己表現する唯一の切り口なのであるという切実なリアリティである。続く第四章は『美と日常性の再発見』と題され、そうしてあらゆる理論が行き詰まりを見せる社会で唯一信頼に値し、「ホンモノ」「陳腐化しないもの」ということができうる「自らのうちに起こる感情、感性」こそが現代における美の実験場なのであるという認識の広まりやそれに準拠した若い作家の仕事を個別に紹介している。この章では、「ただ生きる事の肯定」や「マイナーを目指す芸術」、未熟なもの、未発達なもの、未成年的な感性など、それまでの西欧的近代の合理性が否定し続けてきたある種「退行的な」スタンスが現在では唯一の拠り所としてフィーチャーされているという極めて最新の動向、まさにいま起こりつつある生ものの感性が次々に登場する。そして結章となる第五章は『「モダニズム」の閉じ行くフィールド、立ち現れる「現代の美術」』と題し、これまでの「現代美術」と一線を画すあらたな意味として「現代の美術」という暫定的な名称のもとに、「現代美術」の時代に生み出された既出のスタイルをも飲み込み、それらをむしろ積極的に再評価し軽やかに引用しながら全く新しい意味を出現させようとする現代人による多様で意欲的な取り組みを紹介している。

 松井は本書の末筆「おわりに」において、モダンの時代を筆頭に、人類の進歩を支えて来た「前衛」という創造的なスタンスを高く評価する旨をにじませながら、同時に、「(作品とのあいだに)批判的距離を置けない芸術は、「前衛」ではない」と述べている。その上で「本当に新しいものだけが快楽を誘う」と主張する。もはや「新しさの担い手」としてはその限界を見せつつ在る「前衛」の実態を潔く認めることで、松井は前衛芸術との間に批判的距離を置こうとし、そこから本当に新しい何かを懲りずに「今」に求めている。その心構えこそが、現代においては「前衛(的なあり方)」なのだ、と言っているように感じた。

 本書を通して、私は「世界は(これ以上)変わるべきか」ということを常に考えていた。しかしそれは、私一人の一存で決める事のできない身の丈を越した大きな命題である。それならば私は、このとりとめのない思考を一度中断し、この現代を包む「はかなさ」「刹那性」を引き受けながら、松井らと共に次の新しい何かを懲りずに試すことに没頭していきたいと思うのである。

 

(2312字)

**** 以上 ****************

 

 

アート:“芸術”が終わった後の“アート” (カルチャー・スタディーズ)

アート:“芸術”が終わった後の“アート” (カルチャー・スタディーズ)