試験中に時刻のアナウンスはいたしません。
また、腕時計以外のもの(携帯電話・置時計・ストップウォッチ・ウェアラブル端末など)を時計として使用することはできません。
閑話休題
日記を1年続けた人100人に密着インタビューをしてみたい。
きっと、ぜったい、その取材は面白いに決まってる。
長年のなぞが解けて上機嫌の日でも、
大失敗の日でも、
無敵になったような気がして踊りたい日も、
忙殺されて一日の輪郭が曖昧な日も、
今だ!
と決めたその時間には、問答無用でペンを握って、椅子にすわって、
コリコリ書き始めるのだ。
くる日も
くる日も
くる日も
くる日も
一日も、欠かさず !
なんだかもう、末恐ろしいくらいだ。
私なんか、歯磨きだって、時にはお風呂に入る事だって、
うっかり忘れることもある。
365日のうちの1日が欠けることって、なんてたやすいことか。
私たちはみんな、いいわけの達人だ。
やらない理由をみつける才能は、ぴっかぴかの上級品なのだ。
だからこそ、毎日である必要がある。
野望や夢があるなら、
もしくは
どうしても手に入れたいものがあるなら
これは、嘘じゃないんだって、
ほんとに
本気の
マジのマジだ
って
誰かを口説き落としたいのなら
何かを毎日続けてみたらいい
簡単な事だよなあ。
同じことを毎日続けることのいいところは
それがとんでもない大変な事だ、って、だれにでもわかるところと
それがとんでもない大変な事だ、とは、もうそんなに思わなくなった自分を発見できるところ
中身の無い今日の日記へのいいわけは、このへんにして。
◎ほんじつの右手ライティング
5.3.2018
雨の日には、矢野顕子の弾き語りアルバムがちょうどいい。
一押しは、なんといっても
アルバム「ピヤノアキコ。」
いやあ、しかし。。。
彼女の、この、母性そのものみたいな歌声は、どこから出てくるんだろう。
まさに、"ピアノが愛した女"。
have a good night。。
剃髪と女
若木くるみという現代アーティストがいる。
彼女のトレードマークは、自分の後頭部を剃り上げて、そこに顔を描く作品だ。
後頭部ビジネス: 櫛野さんとコートーブ より引用
私が彼女を始めて目撃したのは、先日パークホテル東京で開催されていた現代アートフェアである。
パークホテル東京という場所にはこの時初めて訪れたのだが、
ド都心、汐留にそびえ立つ高層ビル群のひとつで、
目の前には木原さんとそらジローの天気予報でお馴染みの、
あの日テレタワーが構えている。
そんな日本屈指のビジネスタウンにある高層ホテルが、パークホテル東京なのだが
その26階と27階の客室を各アートギャラリーの展示ブースに割り振り、
ホテルの一室に遊びに行くような形で作品を鑑賞(売買も)できるというユニークなアートフェアだった。
来客は、美術関係者やコレクターなどが多い印象で、
VIPの札を下げた人や商談する人がちらほらいた。
自分ではまず泊まることのない、窓から汐留を一望できる高層ホテルで、
うっかり作品にぶつかってしまわないように
(普通のホテルの一室のそこここに作品が並べられているのだ)、
慎重に各部屋をみて回っていると、
ある部屋の洗面台のところで、ちょっと様子が違うことに気がついた。
何やら女性が必死に片言の英語で説明する声が聞こえる。
見ると、そこには後頭部を剃り上げた女性と、来客らしい海外の女性。
後頭部を刈り上げた女性の方が、
これ、this、ここに、絵を描いて、my head!!、それを、here! painting!、紙を乗せて、写しとる、…"写しとる"ってなんだ?、printing?put on。。。
と、懸命に説明をしている。
状況から推測するに、おそらく彼女の剃り上げた後頭部に、お客さんの似顔絵を描き、それを紙で転写して持って帰ってもらえるという新種の似顔絵サービスらしい。
そばに値段も書いてあった気がする。
来客の女性の方は、なんだかよくわからないという風だったが、
それを脇から見ていた私は、
おや、なんだかすげえ女性が居るもんだ、としばし見入ってしまった。
実は私も、大学四年の春に髪を剃り上げ丸坊主になった経歴がある。
その経緯は重要ではないし、大した話でもないのでここでは長くを語らないが、
簡単に言えば、つまらない自分自身を変えたかったからであり、
自分らしさとは何なのか、
綺麗さっぱり削ぎ落としてゼロから考え直してみたかったからだ。
確かにあの時、なにか女として一皮剥けたような、
開くはずのない鍵箱をこじ開けてしまったような、
不思議な昂揚感に包まれたことを覚えている。
剃髪と女。
女にとって、剃髪をするということは。
作品の意図を懸命に説明する若木くるみを見つめながら、その事について考えていた。
一般的に言って、「髪」という保護膜やごまかし、あるいは"女という記号"を放棄するということは、
その手放した実際の毛量以上に大きい意味がある、と思う。
しかし、その抵抗や決意はなんだか、考えてみれば滑稽で愉快な笑い話なのかもしれないとも思ったりする。
人生は、近くで見れば概ね悲劇だが、遠くから俯瞰してみれば、概ね喜劇である、
というようなことを、チャップリンが言っているが、
私はこの言葉はほんとに的を得ていると思う。
髪にまつわる女たちの小さな葛藤や、くるしみや号泣や覚悟や決意やプライド。
長い髪を大切にトリートメントする風呂上がりの時間も
うねるくせ毛をアツアツのコテで引き延ばす朝の奮闘も
突風に巻き上がる前髪を恨めしそうに整え直す風の日も
ぜーんぶ
自ら買って出た面倒なのだ。
われわれは、本来もっと自由なのではあるが
頭を剃って、そこにお絵描きしたって一向に構わないのではあるが
それでも、あくまで自ら好んで、今日も長い髪を揺らす。
汝髪を剃るべからずとは、法律には書いていない。
そう思うと、なんだかそれすら愉快である。
見事に剃り上げた彼女の後頭部と、そこに描かれた福笑いのような拙いペイント、そしてそれを不思議そうに見守る女性。
それをみていたら、なんだか
すべてがバカバカしくって、
愛しくって、
愉快で仕方ないやと思ったのである。
◎ほんじつの右手ライティング 5.2.2018
時計をベランダに干す女
こんにちは、
晴れた日には時計をベランダに干す女、あ〜り〜です。
今日は、最近父から譲り受けた、ソーラー式充電時計
casioのG-SHOCK MR-G
画:左利き画伯あーりーの右手
↑これ
の話。
先日、はじめてTOEIC Rrading & Listeningテスト(日本のサラリーマンにとって最もメジャーな英語検定。たぶん)を受けて来たのだが
そこで申し込みハガキの持ち物欄に書いてあった
そう、腕時計。当然、もっていない。え、持っている?いえいえ、
平成生まれのあーりーは、
現在地を調べるのも
目覚まし時計をセットするのも
スケジュールをメモするのも
ごはん代を計算するのも
本を読むのも
音楽を聴くのも
買い物も
決済も
人生相談(グーグル先生)も
ぜ〜〜んぶ、スマホ一台で完結。
しかもかなりの汗っかきであるゆえに、これまでチャレンジしてきた腕時計は全てかぶれて断念してきた経歴持ち。
極めつけは極度のめんどくさがりやのため、一度電池が切れると時計屋にもっていくのは めんどくさすぎて無理 という
腕時計を買わない理由トリプルコンボ
を達成してしまっていた。
そんなわけで当然のように腕時計のない私は困り果てた。
ああ、せめて、電池の切れない時計があれば。
時計屋にもっていくのだけは、
それだけは
どうしてもめんどくさい。。。 ! ! !
そんな愚痴を母にこぼしつつ、仕方なく近所の雑貨屋で安い懐中時計を買って帰った日、
机の上に、見慣れぬ黒い、無骨な時計がそっと置かれていた。
「なに、これ?」
聞くと、どうやら話を母づてに聞いた父が、使っていない時計を譲ってくれるらしい。
「なんか、何万もするいい時計みたいで、多機能で、ソーラー式充電だから電池交換も要らないし、あんたにどうかって」
正直、私はシンプルなデザインが好みだ。
アルネヤコブセンとか
ヌーンコペンハーゲンとか
北欧デザインの、必要最低限の機能だけを備えた、スッキリと軽快で上品な、
ミニマルなアイテムが好きなのだ。
この時計はといえば、まるで正反対なのである。
まず、オールブラックの重厚感あふれるカラーリングであり、
ストップウォッチや曜日表示、サーチライト搭載などなどゴリゴリの多機能、
床に叩き付けてもトラックで轢いても深海に潜ってもぶっ壊れないタフネス、
そしてメカニックチタンベルトにチタンパーツのデザイン。
これでも、若干22歳の女子なのに、いささか無骨すぎではないか。父よ。
とはいえ、安くない値段で買った時計をくれると言っているのだから、
まあ一度試すくらいはするのが礼儀ってもんである。
ずっしり重量感のあるそのMR-Gをカチャリと右腕にはめてみると、
おや?
なんか似合ってね?
なぜか、不可解な程に似合う。
なぜだ?
この、ヒョロヒョロしていかにも弱そうな私のどこに、このダンディズムとタフネスを体現したような時計が似合う素質があるというのだろう。
しばし、腕を振り回したり、戦闘のポーズをキメてみたりしながら、この時計との相性を確かめているうちに、
なんだかだんだん愉しくなってきている自分を発見した。
「これ、なんかあったときはブン投げれば武器になるやんか」
「ここの盤面のとこでパンチしたら戦闘能力高いべ」
などと言ってキャッキャと喜ぶ少年のような私に、「そうだねえ!」と聖母のような眼差しで応える母親。。。
気に入った。
これこそ、私の求めていた腕時計である。
人間、なんでもバランスというものが大切なのだ。
いかにも弱そうな私に必要だったのは、おしゃれな北欧デザインの腕時計でもなければ、
華奢な腕をさらに華奢に演出する小振りなレディース時計でもない。
いざというときは武器として共に戦う事のできる、頼れる無骨な親父時計である。
******************
そんな訳で、現在私はすっかりこの時計に馴染み始めた。
さらに、
G-SHOCKファン感謝祭なるものも目ざとく見つけ、参加する気マンマンである。
もちろん、この、ぶかぶかの親父時計と共に参戦するつもりだ。
つよいおんなは、お好きですか。
◎ほんじつの右手ライティング 2018.5.1
すいかの匂い
今日、今年になってはじめて父が扇風機を回しているのをみた。
夏はもうすぐそこだ。
こういう時期に、ふと思い出す本がある。
すいかの匂い/江國香織
私がこの本に出会ったのは、中学の頃だった。
千葉県の中学校に通っていたが、なぜか、毎朝15分ほどの「朝読(アサドク)」の時間というのがあって、生徒は各自読みたい本を用意してこなければいけない。
たまに本を用意するのを忘れるのだが、そんなときは仕方なく道徳の教科書を読んだり、それも持っていない日には歴史の教科書を眺めてみたり、地図帳を広げてみたりした。
読み物といえばマンガが大好きだった私にとって、なにか読む本をみつけてこいという課題はそれだけで憂鬱だった。
そんなとき、本屋で偶然見かけた「すいかの匂い」は、薄く、安く、キャッチーなタイトルの短編集で、そんな私でも飽きる前に読み終えられるかもしれないという感じがした。
「すいかの匂い」は、同名の「すいかの匂い」から始まり、計11篇の独立した物語から成る。
どれも、夏のにおい、夏の味、夏の音、夏の手触り、夏の景色を真空パックにとじこめたみたいな作りで、この本を開いたときだけは、いつでも、何度でも、思い出したいあの夏に帰る事ができる。
読んだときによって引っかかるものが違うし、年を重ねて夏の経験値があがるほどに、同じ物語に新たな夏の解釈が立ち現れるのだ。
「すいかの匂い」を、いいと言う人とは、一緒にいい仕事が出来る気がする。
この記事の中で、ライターのカツセマサヒコさんも言っていたが、
五感の中で、とりわけ「嗅覚」は詩的な感覚と相性がいい。
嗅覚は五感のなかでもポエム気質の強い感覚だと思っている。思い出などは記憶よりも匂いでよみがえることも多い。
詩的な感覚って、じゃあ、なんなんだろうか。
”詩情”をだれかと共有するってどういうことだろう。
**************
世の中はゴールデンウィーク真っ最中。
わたしは、ちょっと家に籠って、溜めに溜めた事務作業や書き物をしています。
父親に
おまえ、ちょっと走って運動してこい
と言われて、理由を聞くと
会話の合間に余計な動き(いちいちポーズをキメるなど)をしていたらしい。
やっぱり家に居ると運動量が一気に減るらしく
無意識に変な動きをしてしまいがち。(体力発散のため?)
あれ、私だけかな?
本日の右手ライティング 2018.4.30
かぶとむしby 右手
そのほかby 左手
清澄白河の古本屋
昨日は、かねてより気になっていたブログ「隠居系男子」のライター・鳥井弘文さんのイベントへ参加して来た。
大企業を経験していないことがコンプレックスでもあり、財産でもある。 | 隠居系男子
テーマは、ずばり
就活 ! !
↑これ
私自身、現在絶賛シュウカツセイなので
もう、就活と名のつくイベントは、
就職活動の一環という大義名分のもとに
喜び勇んで参加しまくっている。
で、参加しない理由が特に見当たらなかったため、
ポチった。
(学生参加費1000円)
参加しない理由は強いて言えば金欠であることだが、
ここで使わなかった金は、きっと別の就活イベントに消えるだけのことなのだ。
ならば、少しでもワクワクする金遣いをするのが賢いライフハックなのだ。たぶん。
**************
イベントはすてきだった。
やはりわたしは賢い選択をした。
失礼な言い方かもしれないが、大人って、以外と普通じゃん、
と思わせてくれた。
大人だって、にんげんなのだ。。。 !!(知っていたか?!)
会場(リトルトーキョー)併設のバーで、うまいオレンジジュースも飲めた。
ポンジュースを2倍濃くして太陽を閉じ込めた感じ。 ※個人の感想
価格:810円 |
↑これ
鳥井さんは、ちょっと私の妹に似ている気がして、謎の親近感と安心感を覚えた。
モナリザのような微笑をたたえて、イベントをじっと見守っていた鳥井さん。
やっぱり、人って会う事が大切だなと改めて思う。
インターネット上では計り知れない、たたずまいや温度感を、
掴みたいから、会いに行きたい。
これからも、気になったもの・ヒトには「会いに行く」
絶対、大切なお土産を持ち帰ってこられるから。
************
で、本題。
そう、本題はまさに、本だい!
。。。
本だい! ! !
。。。。。。
It's about a book !!!
じつは、イベントが始まる前に、一時間くらい早くついてしまったので、
清澄白河の街を駅からふらふらと歩いていると
アートギャラリーがあったりするこの街で、
ふと、道ばたにならぶ古本のラックに目が止まった。
そういえば最近、紙の本はあまり買わない。
いや、たまには買うけれども、
とくに小説だとか
読み物を、集中してじっと読み込む事はしばらくなかった。
なにせ、私はこのごろ、めっきりシュウカツ中なのである。
ビジネス書やら、就職ガイドやら、優先順位の高いMUST BUYな本は他にいくらでもある。
しかしこの日、たまたま見かけた古本ラックの中に、前から気になっていた
【中古】 サラバ!(上) 小学館文庫/西加奈子(著者) 【中古】afb 価格:492円 |
それは、3センチか、4センチある背表紙をこちらに向けて、
その3センチの中から、「私を買って!」と、私に話しかけているみたいに思えた。
「僕はこの世界に、左足から登場した。」
この、最初の一文がひらめいたことからスタートしたという、この小説。
その、例の一節を確認してから、しばらく読み込んでみる。
すぐに、私の中にはあの感覚がよみがえってきた。
良質なストーリーに身体をゆだねて、私を乗せる物語の船の行く先をソワソワしながら小窓から見守っているような、あの感覚だ。
そのとき私は、「買う」と決めた。
そのラックには、(上)と(下)の2巻が、それぞれ200円で売っていたけれど、
しばらく小説から離れていた私は、もうひとつ自分の”読書体力” に自信が持てず、
「読みたくなったら、ネットでもメルカリでも、また買えばいいのだ。」
と唱えながら、サラバ!(上)(200円)とずっと欲しかった佐々木マキ作品集(1000円)を抱えてレジへ向かった。
↑ガロなどで有名な青林堂の発行。活版印刷ならではの文字のズレが実にノスタルジックで味わい深い
レジのおじさんは、ぴっぴっ、とバーコードを読み込むと、
こちら、(上)だけでいいんですか。と言った。
わたしは、少し考えてから、
とりあえず。と言った。
なにが、とりあえず、だ、
と自分でちょっと笑った。
お金が、ないんだよ !
後で調べてみると、
どうやらサラバ!は、(上)(中)(下)3巻にわたる長作らしい。
(下)も、買えばよかっただろうか。
とりあえず、まずは(上)を読破しなければ。
きっと、時間を細切れに分割して説明会やイベントをはしごする私にいま足りていないのは
物語のマイペースな時間軸を思い出す事だったりするかもしれない。
◎ほんじつの右手ライティング 2018.4.28