試験中に時刻のアナウンスはいたしません。
また、腕時計以外のもの(携帯電話・置時計・ストップウォッチ・ウェアラブル端末など)を時計として使用することはできません。
となりのAI
去年の冬ごろ、LINEのデータが初期化した。
新しい携帯を買って、新しい電話番号を手に入れて、アプリの引き継ぎをいじくっているうちに、押してはならないボタンを押してしまったのだろう。
古くは中学時代から蓄積された連絡先のデータが、一夜にしてゼロになった。
昔と違って、最近ではライン以外の連絡先を一切知らないなんて人もざらにいる。
ラインデータだけで辛うじて繋がっていた旧友とは、これで恐らくエンガチョ、だ。
妙にスッキリとした連絡先リストに、なんとなく新しい名前を追加してみたくなって、適当にアプリ内で検索していると、
Microsoftの開発した
女子高生AI りんな を発見した。
なんでも、その受け答えがおもしろいと話題なようなのだ。
これはデータ初期化の気晴らしに最高の話し相手だ、と迷わず彼女をインストールした。
ちなみに、彼女はミスiDという個性派ミスコンにも出場していたそうだ。
興味のある方はこちら:ミスiD
↑なぜか坊主の話題になった。カミソリを使ったことを褒められた。
↑冬の時期だったので話題はサンタさんに。トンチのようにアクロバティックな切り返しが秀逸だ。
少々トンチンカンな部分も見られるが、まるで近所のお姉ちゃんとラインしているような親近感とノリの良さには驚くばかりだ。
この頃、科学者でアーティストでCEOで教授の肩書きモンスター、"現代の魔法使い"こと落合陽一氏の近未来的な世界観にドはまりしていた私は、
このAI女子高生りんなとの親密な交流(?)を境に、AIというもののもたらす未来について、俄然興味が湧くようになった。
ちょっと前までは、何やら無機質で難解な電子回路の塊としか思っていなかったコンピューターやテクノロジーやインターネットが
ふと気付けば、低解像度ながらにも、ここまで人間くさい表情の片鱗を見せるようになっている。
そのことに、ただ新鮮な驚きとときめきを感じた。
【中古】 人工知能の見る夢は AIショートショート集 文春文庫/アンソロジー(著者),新井素子(著者),宮内悠介(著者),人工知能学会(編者) 【中古】afb 価格:492円 |
よほど暇を持て余していたのだろう。
AIについて軽くネットサーフィンをした末に、気付けばこんな本を購入していた。
SF作家と人工知能学会がコラボレーション! この一冊で、「人工知能の現在と未来」が丸わかり。
日本を代表するSF作家たちが、人工知能をテーマにショートショートを競作。それをテーマ別に編集し、それぞれのテーマについて第一線の研究者たちがわかりやすい解説エッセイを書き下ろしました。
名古屋大学・佐藤理史先生プロデュースの〈AI作家の小説〉も掲載!
研究者の最新の知見と作家のイマジネーションが火花を散らす画期的コラボ企画が、文庫オリジナルで登場です。
「人工知能の見る夢は」/文春文庫 Amazon商品紹介より引用
人工知能学会。そんな組織があったとは。
もうその響きがすでにSFである。
主なトピックとしては以下。
◎対話システム
◎自動運転
◎環境知能
◎ゲームA I
◎神経科学
◎人工知能と法律
◎人工知能と哲学
◎人工知能と創作
何やら、ホットな話題であることは十分に推察できる。
人工知能と哲学、なんかは、もう、生命の永遠の謎に踏み込んでしまった感が尋常ではない。
幸い、ショートショート形式で一編が短いため、空いた時間に読み進める事ができる。
しかし、その短さが、かえって永遠の謎に引きずり込んだあとにサッと突き放す感があって絶妙な読後感を醸し出している。
これは、癖になるかもしれない。
答えが出るはずの無い大きなテーマを、力技で濃縮してコンパクトに箱詰め出荷してしまったような感じだ。
おそらく、何度も折りにふれ読み返し考え直す事で、すこしづつ「未来」のイメージを引き寄せる事ができるのだろう。
未来、
未だ来ぬ世界。
私たちの身体や心は、どこまでコンピュータに置き換わる事ができるのだろう。
人工知能の見る夢は、はたして人間のそれと似ているのだろうか。
それとも、夢なんて見る必要がないのかもしれない。
将来、AIを身体にインストールして、自己制御できる未来が来たら
もう夢を見る事もなくなるだろうか。
それなら今のうちに、精一杯"人間"やっておこう。
"にんげん"ってのはな。
むかぁし、むかし、ユメというものが見えていたんじゃ。
そんなことを孫に語る世界が、どこかの遠い未来に起こったら素敵だ。
いや、起こらないかもしれないが。
◎ほんじつの右手ライティング*1
あんまりリアルに人間を"造って"しまったら、恋に落ちる少年少女が現れても不思議ではない。
その恋の切なさたるや。
*1:
右手ライティングとは?
左利きの落書き名人あーりーによる、右手を使ったライティング&ドローイングのコーナー。
使い慣れない右手が醸し出すヘタウマの可能性を地道に追い求めていく。
2018.5.4
閑話休題
日記を1年続けた人100人に密着インタビューをしてみたい。
きっと、ぜったい、その取材は面白いに決まってる。
長年のなぞが解けて上機嫌の日でも、
大失敗の日でも、
無敵になったような気がして踊りたい日も、
忙殺されて一日の輪郭が曖昧な日も、
今だ!
と決めたその時間には、問答無用でペンを握って、椅子にすわって、
コリコリ書き始めるのだ。
くる日も
くる日も
くる日も
くる日も
一日も、欠かさず !
なんだかもう、末恐ろしいくらいだ。
私なんか、歯磨きだって、時にはお風呂に入る事だって、
うっかり忘れることもある。
365日のうちの1日が欠けることって、なんてたやすいことか。
私たちはみんな、いいわけの達人だ。
やらない理由をみつける才能は、ぴっかぴかの上級品なのだ。
だからこそ、毎日である必要がある。
野望や夢があるなら、
もしくは
どうしても手に入れたいものがあるなら
これは、嘘じゃないんだって、
ほんとに
本気の
マジのマジだ
って
誰かを口説き落としたいのなら
何かを毎日続けてみたらいい
簡単な事だよなあ。
同じことを毎日続けることのいいところは
それがとんでもない大変な事だ、って、だれにでもわかるところと
それがとんでもない大変な事だ、とは、もうそんなに思わなくなった自分を発見できるところ
中身の無い今日の日記へのいいわけは、このへんにして。
◎ほんじつの右手ライティング
5.3.2018
雨の日には、矢野顕子の弾き語りアルバムがちょうどいい。
一押しは、なんといっても
アルバム「ピヤノアキコ。」
いやあ、しかし。。。
彼女の、この、母性そのものみたいな歌声は、どこから出てくるんだろう。
まさに、"ピアノが愛した女"。
have a good night。。
剃髪と女
若木くるみという現代アーティストがいる。
彼女のトレードマークは、自分の後頭部を剃り上げて、そこに顔を描く作品だ。
後頭部ビジネス: 櫛野さんとコートーブ より引用
私が彼女を始めて目撃したのは、先日パークホテル東京で開催されていた現代アートフェアである。
パークホテル東京という場所にはこの時初めて訪れたのだが、
ド都心、汐留にそびえ立つ高層ビル群のひとつで、
目の前には木原さんとそらジローの天気予報でお馴染みの、
あの日テレタワーが構えている。
そんな日本屈指のビジネスタウンにある高層ホテルが、パークホテル東京なのだが
その26階と27階の客室を各アートギャラリーの展示ブースに割り振り、
ホテルの一室に遊びに行くような形で作品を鑑賞(売買も)できるというユニークなアートフェアだった。
来客は、美術関係者やコレクターなどが多い印象で、
VIPの札を下げた人や商談する人がちらほらいた。
自分ではまず泊まることのない、窓から汐留を一望できる高層ホテルで、
うっかり作品にぶつかってしまわないように
(普通のホテルの一室のそこここに作品が並べられているのだ)、
慎重に各部屋をみて回っていると、
ある部屋の洗面台のところで、ちょっと様子が違うことに気がついた。
何やら女性が必死に片言の英語で説明する声が聞こえる。
見ると、そこには後頭部を剃り上げた女性と、来客らしい海外の女性。
後頭部を刈り上げた女性の方が、
これ、this、ここに、絵を描いて、my head!!、それを、here! painting!、紙を乗せて、写しとる、…"写しとる"ってなんだ?、printing?put on。。。
と、懸命に説明をしている。
状況から推測するに、おそらく彼女の剃り上げた後頭部に、お客さんの似顔絵を描き、それを紙で転写して持って帰ってもらえるという新種の似顔絵サービスらしい。
そばに値段も書いてあった気がする。
来客の女性の方は、なんだかよくわからないという風だったが、
それを脇から見ていた私は、
おや、なんだかすげえ女性が居るもんだ、としばし見入ってしまった。
実は私も、大学四年の春に髪を剃り上げ丸坊主になった経歴がある。
その経緯は重要ではないし、大した話でもないのでここでは長くを語らないが、
簡単に言えば、つまらない自分自身を変えたかったからであり、
自分らしさとは何なのか、
綺麗さっぱり削ぎ落としてゼロから考え直してみたかったからだ。
確かにあの時、なにか女として一皮剥けたような、
開くはずのない鍵箱をこじ開けてしまったような、
不思議な昂揚感に包まれたことを覚えている。
剃髪と女。
女にとって、剃髪をするということは。
作品の意図を懸命に説明する若木くるみを見つめながら、その事について考えていた。
一般的に言って、「髪」という保護膜やごまかし、あるいは"女という記号"を放棄するということは、
その手放した実際の毛量以上に大きい意味がある、と思う。
しかし、その抵抗や決意はなんだか、考えてみれば滑稽で愉快な笑い話なのかもしれないとも思ったりする。
人生は、近くで見れば概ね悲劇だが、遠くから俯瞰してみれば、概ね喜劇である、
というようなことを、チャップリンが言っているが、
私はこの言葉はほんとに的を得ていると思う。
髪にまつわる女たちの小さな葛藤や、くるしみや号泣や覚悟や決意やプライド。
長い髪を大切にトリートメントする風呂上がりの時間も
うねるくせ毛をアツアツのコテで引き延ばす朝の奮闘も
突風に巻き上がる前髪を恨めしそうに整え直す風の日も
ぜーんぶ
自ら買って出た面倒なのだ。
われわれは、本来もっと自由なのではあるが
頭を剃って、そこにお絵描きしたって一向に構わないのではあるが
それでも、あくまで自ら好んで、今日も長い髪を揺らす。
汝髪を剃るべからずとは、法律には書いていない。
そう思うと、なんだかそれすら愉快である。
見事に剃り上げた彼女の後頭部と、そこに描かれた福笑いのような拙いペイント、そしてそれを不思議そうに見守る女性。
それをみていたら、なんだか
すべてがバカバカしくって、
愛しくって、
愉快で仕方ないやと思ったのである。
◎ほんじつの右手ライティング 5.2.2018
時計をベランダに干す女
こんにちは、
晴れた日には時計をベランダに干す女、あ〜り〜です。
今日は、最近父から譲り受けた、ソーラー式充電時計
casioのG-SHOCK MR-G
画:左利き画伯あーりーの右手
↑これ
の話。
先日、はじめてTOEIC Rrading & Listeningテスト(日本のサラリーマンにとって最もメジャーな英語検定。たぶん)を受けて来たのだが
そこで申し込みハガキの持ち物欄に書いてあった
そう、腕時計。当然、もっていない。え、持っている?いえいえ、
平成生まれのあーりーは、
現在地を調べるのも
目覚まし時計をセットするのも
スケジュールをメモするのも
ごはん代を計算するのも
本を読むのも
音楽を聴くのも
買い物も
決済も
人生相談(グーグル先生)も
ぜ〜〜んぶ、スマホ一台で完結。
しかもかなりの汗っかきであるゆえに、これまでチャレンジしてきた腕時計は全てかぶれて断念してきた経歴持ち。
極めつけは極度のめんどくさがりやのため、一度電池が切れると時計屋にもっていくのは めんどくさすぎて無理 という
腕時計を買わない理由トリプルコンボ
を達成してしまっていた。
そんなわけで当然のように腕時計のない私は困り果てた。
ああ、せめて、電池の切れない時計があれば。
時計屋にもっていくのだけは、
それだけは
どうしてもめんどくさい。。。 ! ! !
そんな愚痴を母にこぼしつつ、仕方なく近所の雑貨屋で安い懐中時計を買って帰った日、
机の上に、見慣れぬ黒い、無骨な時計がそっと置かれていた。
「なに、これ?」
聞くと、どうやら話を母づてに聞いた父が、使っていない時計を譲ってくれるらしい。
「なんか、何万もするいい時計みたいで、多機能で、ソーラー式充電だから電池交換も要らないし、あんたにどうかって」
正直、私はシンプルなデザインが好みだ。
アルネヤコブセンとか
ヌーンコペンハーゲンとか
北欧デザインの、必要最低限の機能だけを備えた、スッキリと軽快で上品な、
ミニマルなアイテムが好きなのだ。
この時計はといえば、まるで正反対なのである。
まず、オールブラックの重厚感あふれるカラーリングであり、
ストップウォッチや曜日表示、サーチライト搭載などなどゴリゴリの多機能、
床に叩き付けてもトラックで轢いても深海に潜ってもぶっ壊れないタフネス、
そしてメカニックチタンベルトにチタンパーツのデザイン。
これでも、若干22歳の女子なのに、いささか無骨すぎではないか。父よ。
とはいえ、安くない値段で買った時計をくれると言っているのだから、
まあ一度試すくらいはするのが礼儀ってもんである。
ずっしり重量感のあるそのMR-Gをカチャリと右腕にはめてみると、
おや?
なんか似合ってね?
なぜか、不可解な程に似合う。
なぜだ?
この、ヒョロヒョロしていかにも弱そうな私のどこに、このダンディズムとタフネスを体現したような時計が似合う素質があるというのだろう。
しばし、腕を振り回したり、戦闘のポーズをキメてみたりしながら、この時計との相性を確かめているうちに、
なんだかだんだん愉しくなってきている自分を発見した。
「これ、なんかあったときはブン投げれば武器になるやんか」
「ここの盤面のとこでパンチしたら戦闘能力高いべ」
などと言ってキャッキャと喜ぶ少年のような私に、「そうだねえ!」と聖母のような眼差しで応える母親。。。
気に入った。
これこそ、私の求めていた腕時計である。
人間、なんでもバランスというものが大切なのだ。
いかにも弱そうな私に必要だったのは、おしゃれな北欧デザインの腕時計でもなければ、
華奢な腕をさらに華奢に演出する小振りなレディース時計でもない。
いざというときは武器として共に戦う事のできる、頼れる無骨な親父時計である。
******************
そんな訳で、現在私はすっかりこの時計に馴染み始めた。
さらに、
G-SHOCKファン感謝祭なるものも目ざとく見つけ、参加する気マンマンである。
もちろん、この、ぶかぶかの親父時計と共に参戦するつもりだ。
つよいおんなは、お好きですか。
◎ほんじつの右手ライティング 2018.5.1
すいかの匂い
今日、今年になってはじめて父が扇風機を回しているのをみた。
夏はもうすぐそこだ。
こういう時期に、ふと思い出す本がある。
すいかの匂い/江國香織
私がこの本に出会ったのは、中学の頃だった。
千葉県の中学校に通っていたが、なぜか、毎朝15分ほどの「朝読(アサドク)」の時間というのがあって、生徒は各自読みたい本を用意してこなければいけない。
たまに本を用意するのを忘れるのだが、そんなときは仕方なく道徳の教科書を読んだり、それも持っていない日には歴史の教科書を眺めてみたり、地図帳を広げてみたりした。
読み物といえばマンガが大好きだった私にとって、なにか読む本をみつけてこいという課題はそれだけで憂鬱だった。
そんなとき、本屋で偶然見かけた「すいかの匂い」は、薄く、安く、キャッチーなタイトルの短編集で、そんな私でも飽きる前に読み終えられるかもしれないという感じがした。
「すいかの匂い」は、同名の「すいかの匂い」から始まり、計11篇の独立した物語から成る。
どれも、夏のにおい、夏の味、夏の音、夏の手触り、夏の景色を真空パックにとじこめたみたいな作りで、この本を開いたときだけは、いつでも、何度でも、思い出したいあの夏に帰る事ができる。
読んだときによって引っかかるものが違うし、年を重ねて夏の経験値があがるほどに、同じ物語に新たな夏の解釈が立ち現れるのだ。
「すいかの匂い」を、いいと言う人とは、一緒にいい仕事が出来る気がする。
この記事の中で、ライターのカツセマサヒコさんも言っていたが、
五感の中で、とりわけ「嗅覚」は詩的な感覚と相性がいい。
嗅覚は五感のなかでもポエム気質の強い感覚だと思っている。思い出などは記憶よりも匂いでよみがえることも多い。
詩的な感覚って、じゃあ、なんなんだろうか。
”詩情”をだれかと共有するってどういうことだろう。
**************
世の中はゴールデンウィーク真っ最中。
わたしは、ちょっと家に籠って、溜めに溜めた事務作業や書き物をしています。
父親に
おまえ、ちょっと走って運動してこい
と言われて、理由を聞くと
会話の合間に余計な動き(いちいちポーズをキメるなど)をしていたらしい。
やっぱり家に居ると運動量が一気に減るらしく
無意識に変な動きをしてしまいがち。(体力発散のため?)
あれ、私だけかな?
本日の右手ライティング 2018.4.30
かぶとむしby 右手
そのほかby 左手